財団のあゆみ 文部科学省管轄の長い歴史を持つ一般財団法人 国際クラブの設立から現在に至る迄をご紹介いたします。

昭和7年(1932)10月4日、財団法人日伊文化協会ダニテアリギェリーが設立される。
昭和21年(1946)日伊文化協会は財団法人国際調和クラブに名称を変更する。

このとき認可を与えた文部大臣は、哲学者であり作家の安倍能成であった。

[新設の財団法人国際調和クラブ]

[新設の財団法人国際調和クラブ]

総裁 岩倉具栄 (明治の元勲岩倉具視の嫡孫)
初代理事長
上田康照 (京都の著名な薬問屋)

明治40年頃までは、国際文化会館の設置、運営、芸術文化に関する事業を実施していたが、上田家も時代の流れとともに衰退し、康照の子廣吉の頃には財団の運営も困難になってきた。

第二代理事長 吉田清重(吉田興業社長)

吉田家は鹿児島藩士の家柄で、幕末に英国に留学し、後に大蔵少丞、大蔵少輔、駐米公使等を歴任した吉田清成の子で、貴族院議員として活躍した清風の子が、上田家の次に財団を引継ぐことになった吉田清重である。

清重は吉田興業社長として、イタリー亭(銀座、六本木)シャドネーフランス亭(六本木)ローズガーデン(浜松町)などを経営し、財団を財政的に支援してきました。しかし、主だった事業がなく、文部省から「休眠財団」の指摘を受け認定取り消しの危機に陥りました。そこで清重は父清風のときから親交のあった植松基次と出会い、事業運営について相談した結果、すでに基次が行っていた芸術文化事業を財団の事業として行っていくこととし、事業が再開されました。

その後、外国人留学生の寮を真鍋陽祐から借り受け、留学生支援事業も行い、上記の事業と合わせ2本の柱ができました。この寮で生活し、巣立った留学生は、香港、マレーシア、台湾、中国、韓国、インドネシアなど国籍もさまざまで総勢百名を超えていたが、寮の老朽化により平成16年3月で終焉とした。

第三代理事長 小野憲(マンパワーグループ代表)

バブル崩壊によって吉田家も傾き、人材開発事業を展開していたマンパワーグループの代表・小野憲が平成11年に財団理事長となり、従来の事業を行ってきたが、小野も高齢となり引退した。

第四代理事長 青山馥(KRHグループオーナー)

平成15年岐阜県羽島市のKRHグループオーナー 青山馥が第四代理事長に就任し、新たに留学生奨学事業、教育支援事業、芸術文化交流事業、発展途上国への支援事業など初期の目標達成のため意欲的に各種事業を展開している。
尚、事業資金は理事長青山馥、副理事長青山るみ夫妻が寄付行為により10億円を調達し、充当した。

第五代理事長 青山るみ・青山英世

平成25年(2013年)財団法人国際調和クラブは一般財団法人国際クラブに名称を変更する。
青山るみ・青山英世が第5代理事長に2名体制で就任し国内外における教育支援事業、芸術文化交流事業、社会福祉活動に「ありがとう」の感謝の心で事業を展開している。
 又、4代理事長青山馥氏の理念である「命・水・教育」は引き続き継承し、新たなる国へ、社会へ貢献できる活動を実施しています。

外国人支援事業

外国人大学留学生支援事業
日本語学校に留学する外国人就学生の学費助成事業

学校教育の支援

学校教育支援事業
学校図書及び書架支援事業
発展途上国における教育施設・インフラ整備事業
カンボジア王国における寄附活動

芸術文化の紹介

芸術文化紹介事業
芸術文化紹介事業記録
国際的な音楽コンサート事業

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社会貢献事業

外国人技能実習生支援事業